先日「ひきこもりについて考える会読書会」に参加しました。 池上正樹さんの 「ルポひきこもり未満 レールを外れた人たち」 を著者の池上正樹さんも途中から参加して話し合いました。その中で一番印象に残った当事者を中心に考えてみたいと思います。
柴田さん、当事40代男性は、孤立しながらも中学迄は通い続け高校 に進学しますが就職について相談する事も出来ず20代に入ってもアルバイトや派遣で働く生活を続けざるを得なかったそうです。 家族との折り合いも悪く家を出て公団の「事故物件」と呼ばれる家賃が安い、保証人もいらない団地を生活の拠点にして何とか一人で生き抜いて行こうとするのです。 医療機関に援助を求めても「鬱病でも精神障害でもない」と自立支援を断られ相談機関では「40歳以上だから当てはまらない」と排除され、バイトで貯めたお金で民間支援団体に通所しても2回程で音沙汰無し。リーマンョックで派遣切りにあった彼は手持ちのお金が無くなったら自死しょうと決意するのです。社会から排除され続けた彼は自らの命と社会を遮断してしまったのでしょうか。
それでも池上さんとメールのやり取りを通じて自助グループにも参加するのですがそこでも傷付けられ生きる意味を無くしていくのです。 家庭環境が良くなかった。生まれた時代が悪かった。では済まされないものを感じました。柴田さんの言葉を借りれば 「一番めんどうくさい時代に生まれ、一番めんどくさい時代に放置された世代」とも言えるのでしょうか。
勿論、就労環境に希望を見いだし働く仲間を見付けた人。 彼を理解する家族の中で気持ちを立て直し自助グループに向かって 一歩踏み出そうとしている人。 この本に登場する人々もまた様々な 道を歩んでいます。私は柴田さんの様な人に出会ったら声を掛ける手立ても見付けられないでしょう。でも何か掛ける言葉を探して思い悩む事でしょう。
最後に読者会のメンバーで自助グループを主宰している若者が 「柴田さんが俺らのグループに来ても、何も出来なかったかも知れない…かえって傷つけてしまったかもしれない…それでも最後に帰る時は『気が向いたら…また来てよ…』って…声を…掛けていた…かも 知れない……」と言葉を詰まらせ涙ぐみながらつぶやいていた姿が忘れられません。 私もまた、何も出来ないかも知れないけれど、何か出来る事はないか。手探りの中で迷っているのです。
(パンドラ)
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